ダイアローグ#2

文化のはざまで絵を描く潘連明×増本泰斗

1994年に中国・上海からの外国人留学生として弘前にやってきた潘連明と
アーティスト増本泰斗によるダイアローグの第二回。

(#1から続き)

増本泰斗(以下、M):就職はりんご工場でされていたと聞きました。

潘連明(以下、H):はい、青森の少し西側にあるりんごジュースの工場でした。あそこは夜のバイトを募集していたからね。夜というのは12時ぐらいまでのバイトで、大学生からするとちょうどいい時間帯ですよね。12時くらいまでバイトして、そのあと寝る時間もあって、朝一でまた授業に出られるという工場だったんですよ。だから僕が一番先に応募して入って、その後にまた中国の留学生10人ぐらい一緒に入ったんですよ。

M:へえー、なるほど。その時に描いた絵が、あの木の模写なんですね。

H:たしか、そうだったと思います。模写にはいっぱい行っていたんですよ。逸舟と一緒にどこかに写生に行くとか。そういうことも何回かありました。それから公園に行ったこともあるんですよ。あとは弘前の郊外にある「桃太郎温泉」のあたりとか、私が弘前でお世話になった先生の実家の近くの百沢(ひゃくざわ)という地区にある丹鶴庵(たんかくあん)のあたりとか、岩木山も見えるところに行きました。

M:いいところですよね。

H:岩木山も見えるし、先生の家も見えるので、そこで絵を描いたことがあります。

M:「あそこで描きたいなあ」という最初の初期衝動みたいなものって、風景から受け取るんですか?例えば、岩木山を見て「あ、ここで描いてみたいな」とか。

H:そうだなあ、私からいうとね、例えば上海から東北に行くと、雪をあまりみたことがなかったから、すごくびっくりしたんです。弘前では雪まつりがあって、雪燈篭とか雪蔵とか、もう街中に作るんですよ。キャンドルを入れたり、すごく感動したんです。だから、そういうところから絵を描こうかなと思いましたね。みんなで雪かきをしたり、人々が雪と一緒になって、雪を邪魔者じゃなくて自然から恵まれたもののように扱っているところが好きでした。実際は雪はあまり描けていなかったですけどね。

M:上海から弘前に来られて、それからいまは東京にいらっしゃいますが、お父さんが絵を描く欲求ってどこから来るんでしょうか?移動とかも関係あるのでしょうか?

H:あ、それはありますよね。やっぱりその場に行って、その環境のなかで絵を描く意欲が出てくるよね。実は僕、3、4年くらい前に台湾に旅行で行ったんですよ。台北の九份(きゅうふん)というところ。ご存知だと思うんですが、山の上の山道のところにいっぱいお店があって…。

M:あー、わかります。はい。

H:その九份に、ちょうどお正月の時に観光で行ったんですよ。みなさんもよくご存知の「千と千尋の神隠し」のイメージのようなところで本当にびっくりしました。それで、その時に絵を描こうと思って、時間はなかったけれどもいっぱい写真を撮って、そのあとに自分で一枚絵を描いたんですよ。あと、もうひとつ、勤めていたとき、実は中国に派遣されたんですよ。

M:弘前から中国に?中国はどこですか?

H:そうです。弘前で5年間くらい勤めて、その後に中国にある工場に派遣されて、最初は山東省(さんとうしょう)の煙台(えんたい)とか青島(ちんたお)とかあたりに会社ができて、そこに僕は7年間いたんですよ。

M:へえー、でも上海とは全然違いますよね。

H:全然違うところでしたね。他の日本人も何人かいて一緒に工場に派遣されたのですが、その後、南に移って浙江省(せっこうしょう)の舟山(しゅうざん)市という緯度的に長崎と同じぐらいのところの島に行きました。実はもう何十年も前から日本の企業との会社があったんですよ。そこに出向して、そこにいるときに船の絵を描きはじめました。

M:ヘえー、面白い、なるほど。

H:中国にいた頃の大学時代に、そこへは観光で1ヶ月間ほど行ったことがありました。ずっと寝泊りしていろんな絵を描きました。なので思いがけず仕事のためにまた同じところに出向してきて、本当に感情を込めてもう一回描こうと、絵をたくさん描きました。

M:なるほど。ちなみにその会社はりんごに関わる会社ですか?

H:りんごではなくて、漁労から冷凍、加工と販売まで行う大手の冷凍食品会社ですね。

M:弘前から山東省に行かれた時って、山東省は上海とは全然違う文化だったんでしょうか?

H:えーっと、まあ文化の違いと言っても、言葉は一緒だからね。

M:あ、言葉は一緒なんですか?

H:言葉は一緒なんですよ。中国は標準語は全部通じるんで。まあ方言というのはありますけれど、仕事上はみんな標準語で喋ってるから、基本的には支障はないんです。生活とか環境はちょっとは違うんだけどね。

M:なるほど、じゃあそこまで大きな違いはないんですね。

H:そうですね、大きな違いはない。なおかつその時は新しく工場が建てられて、工員さんもほとんどが地元の人じゃなくて、いろんな地方からの出稼ぎの若者だったんですよ。だから彼らと一緒に勤めながらいろいろな話ができてよかったです。

M:あ、いいですね。なんか「どこどこ出身なんだ」というようなアイデンティティみたいなものがあったりするんですか?

H:あ、あります。これがね、行かないとわかんないけども、内陸の人たちと海が近いところの人たちはちょっと違いますよね。生活の習慣とか全部違うんです。

M:うんうん。

H:特に気をつけなくてはいけないとかそういうことではないんだけれど、例えば内陸の人たちはあまり海鮮を食べないんですよ。

M:ああー、なるほど。

H:うん、まあ社内旅行に行った時に海が近いところだからって、いっぱい海鮮を用意して食べようと思ったけれども、彼らは食べないんですよ。

M:ヘえー。

H:海のもの、ちょっと臭いがしてる、臭いって言ってるんですよ。

M:ヘえー。

H:海に近いところの人たちが内陸に行くと、泥魚が泥臭いとか言うじゃないですか。

M:ああ、川魚。

H:そう。だからわからないと(異なる文化の間で)ちょっと衝突しちゃうんです。

(#3に続く)

© 2020 Hirosaki Museum of Contemporary Art

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