ダイアローグ#1

上海から弘前へ潘連明×増本泰斗

1994年に中国・上海からの外国人留学生として弘前にやってきた潘連明と
アーティスト増本泰斗によるダイアローグの第一回。

増本泰斗(以下、M):Thank You Memory展の潘逸舟さんのインスタレーション作品のなかに潘連明さんの絵が一枚展示してあります。コロナ禍で弘前に出向くことができず、実際に展示を観ることは叶っていないのですが、幸いにもインスタレーションの記録写真を通じて拝見することができました。僕にとってはインスタレーションのなかで一際目を引く作品で、興味を惹かれています。会期終了までには現物を鑑賞したいと思っていますが、本日はそれに先立ち、展示されている連明さんの絵を発端として、弘前を軸に、絵を描くことや移住してきたことについてお話を聞いていけたらなと思っています。まず、早速ですが弘前には、いつ頃来られたんですか?

潘連明(以下、H):1994年です。ちょうど30才の時ですね。中国で、もう既に仕事をしていて、その仕事をやめてから日本に留学で参りましたので。

M:なるほど最初は留学生として弘前に来られたんですね。

H:そうですね。留学生ですね。最初に知り合った先生が宮城県仙台市に住んでいて、宮城の大学に勤めていたんですが、先生が弘前の大学にちょうど移る時に僕が留学生として受け入れられることになって、弘前に行くことにしました。

M:最初はその先生が宮城から弘前に来る同じタイミングで、連明さんは中国から日本に来たんですね。

H:はい。じゃあなぜ弘前に先生が行ったかというと、元々は青森県の森田村出身で、森田村はりんごとかもいっぱいあって結構有名な村なんですが、先生が大学に、ちょうど新しい教育研究科を作るタイミングだったんです。

M:先生とはどこで出会われたんですか?中国ですか?

H:私の友人が宮城の大学に留学している時に知り合い、私も話をするようになりました。先生はアメリカと中国の教育を比較研究していたんです。私は中国にいた時は学校の先生、小学校で先生をしていたんですが、現場の先生はいろいろな経験を持っているからということで、大学や先生も大歓迎してくれて、すぐに留学できたんです。

M:少し時代をさかのぼってお話を聞きたいんですけど、中国の小学校で先生を始めたのは何かきっかけがあったんですか?

H:高校を卒業して、大学試験に受かって、師範学校だったんですが、それで小学校の先生になりました。そして勤めているうちに、美術の先生が足りないということで、もう一回大学に、上海教育学院という大学に戻って美術を専攻したんです。やっぱり私は美術が子どもの頃から好きだったんですよ。子ども時代、上海では、日本でいう漫画などがいっぱいあって、それを真似ていろんな絵を描いていました。

M:上海には…えっと、連明さんはいまお幾つですか?

H:55歳です。

M:55歳ってことは、40年ぐらい前とかには、上海にはもうすでに日本の漫画がわりとたくさんあったってことですか?

H:いえ、日本の漫画ではなく中国の漫画です。子供向けの童話の本に描いてあったり、中国から出ている漫画もたくさんあるんですよ。なので最初は、絵画というよりは漫画で、それを真似して色を塗ったりするのが好きだったんです。そうして真似して描いているうちに「絵はいいなあ」と思うようになって、美術が好きになりました。なので専門の学校に入って美術の勉強をしたのはすごくよかったです。

M:なるほど。上海美術学院での授業はどういった感じだったんですか?

H:本当に学校教育に向いた美術教育ですよね。美術の歴史とか、特に子どもに向けた絵とか。私は最初、主に油絵をやったんですよ。油絵を専門にして3年間勉強したんです。

M:美術の歴史というのは中国の美術の歴史ですか?

H:中国の美術の歴史が主でした。もちろん世界のものにも触れたんですが、そこまで深くは勉強してないですね。

M:その当時から、ご自身でも絵を描かれていたんですか?

H:はい、絵は描いてましたね。でも学校に入る前は自分流の絵だったので、やっぱり学校に入って色々教わって、その時から本格的に描き始めたんです。人物画も描いてましたが、主には風景ですね。

M:やっぱり風景を描くことが一番肌に合ったんですね。

H:はい、風景の方が、まあ何というか、自分で思い込んで描きやすいですよね。

M:例えば、実際に外に出かけていって、ある風景を前にして絵を描いたりされました?

H:はい、その時はいっぱいしていましたよ。クラス全員で旅行のようにあちこちにたくさん行って、たくさんの絵を描きました。それも主には風景でしたね。だからさっき逸舟から送ってもらった海とか船とかの絵は、そういう感じで島に行って漁船を背景にして描いたりしたものです。やっぱり、写真を撮るのとは違って、自分の感情がこもりますよね、絵を描くときは。

M:なるほど。僕も絵を描くことが好きなのですが、学生時代は写真を専攻していました。当時、写真には撮影者の感情が写し出されるということを言う先生がいて、僕はどっちかというと、鑑賞者のほうが感情を写真に投影しているのであって、写真そのものは撮影者の感情を投射しないのでは?と考えていたことを思い出しました。それはともかく、そうした上海美術学院での学生時代を経て小学校に先生として勤め、そして、弘前でまた教育大学に入り直したんですね。

H:はい、その当時は留学する人が多かったんです。流行っていたというか…。僕も「なぜ勤めたのに、それを辞めて日本に行くのか?」と、いろんな人に聞かれましたが、やっぱり当時は、みんなの関心が外国に行くことにあったんです。特に私がいた上海は大都会だったので、他の地方より海外に行きたいという意識は少し進んでいたように思います。周囲の人たちは、本当にいろんなところ、アメリカとかオーストラリアとか日本とか、すごくいっぱい行っていました。私は94年だったので少し遅い方でした。

M: 94年でも遅い方なんですね。

H:中国は、1978年から改革開放という政策ができて、その時からは留学もできるようになったので、早い人たちは80年代から外国に行ってるんですよ。

M:なるほど。当時、中国から国外に出られた方の中で、また中国に戻られた方もいらっしゃいました?

H:もちろん、勉強して戻ってくる人もたくさんいました。

M:でも、連明さんは戻られなかった。

H:戻りませんでした。まあいろんな事情があって自分も戻ろうかとも思いましたが、でもやっぱり戻っても自分が好きな仕事が見つからなくて、日本で勤めた方がいいなと思ったんですね。その時は本当に弘前が好きだったんですよ。家族も一緒に来ているから。

M:あ、え、ちょっと待ってください、最初に、94年ということは、もう逸舟さんは生まれている?

H:あ、そうそうそう。もう中国にいるんですよね。

M:その時逸舟さんはまだ中国にいて、お父さんだけで日本に来たんですか?

H:えーと、そうですね。

M:で何年か経ってまた…。

H:そうそう、最初に私と妻がまず日本に来て、数年後生活が落ち着いたところで、逸舟を連れてきたんです。

M:弘前はどんなところがよかったんですか?

H:弘前に最初に来た時、駅を降りてみても、なにも高いビルがないんですよ。これは日本なのかなって、ちょっと戸惑ったんですよ。当時の日本のイメージは、東京とか大阪のように経済成長していて、すごいビルがたくさん立っているところだという感じでした。しかし生活していくと弘前という場所は本当に静かな環境で、いいところだなと思ってきたんですよ。すごく勉強ができるし。お寺とか、新寺町とかが好きでよく行きました。お寺がいっぱい並んでるところですよね。うん、あとはもう、温泉も好きです。週に一回、みんなで桃太郎温泉に朝の料金が安い時間帯に入っていました。決まって入った後に300円のラーメンを食べるのがとても幸せでした。あと津軽の日本酒も大好きです。

M:酒はいいですよね(笑)、僕も中国は広州の方によく行ってたんですが…。

H:えーと、広州って、南ですか?

M:はい、香港の近くの。

H:あー、あそこね。一番南のところの、広東省の中心地で広州市ですよね。多分。あそこはやっぱり中国改革開放の一番先頭に立っていたところですね。

M:あ、そうなんですね。

H:そう、一番早いところです。改革開放というのは南から徐々に北に移ってきたので。

M:で、そこに行った時に、広州のアーティストの友達とちょっと良さげなレストランで会食したんですが、あの白酒(ぱいちょう)っていうんですか?

H:南のね(笑)

M:白いお酒って書いて、めちゃくちゃ強いお酒を飲まされて。

H:(笑)50度ぐらいはあるかもなぁ。

M:そうです、そうです。お昼ご飯の時に白酒で何度も乾杯して、大変なことになりました。

H:うん、中国では昼とか夜とか時間は関係ないから、最初から白酒でスタートするんですね。

M:それと比べると、日本酒の方がもうちょっと軽いですよね。

H:日本酒は大体17度ぐらいでしょ、パーセンテージからいうと。白酒は匂いも強いし、強すぎるね。

M:弘前に話を戻しますけど、弘前の大学に来た時も絵を描かれてたと思うんですけど、今回逸舟さんのインスタレーションのなかに展示されている作品、模写はいつ頃描かれたものなんですか?

H:これはたしか就職してから描いたものですね。94年から99年の5年間が留学生で、99年の7月からはもう工場に勤めて、会社員になったんですよ。その時からはちょっと時間的に余裕ができたのでまた絵を描き始めたんです。

(#2に続く)

© 2020 Hirosaki Museum of Contemporary Art

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